第2景
幼稚園の保育記録 — 園児から目を離さずに、記録が残る
園児の世話の合間に走り書きしていたメモを、スマートフォンへの音声入力に置き換えた、福岡県の幼稚園の記録。保育士は視線を園児に向けたまま記録でき、事務員は読めない文字の解読から解放された。文字起こしの後ろにAIで整える工程を挟み、手を入れる必要がなかった記録は96%。園児1人分の記録は約1分30秒から28秒になった。
幼稚園(福岡県)

- 業種
- 教育・保育
- 規模
- 10〜50名
- 使用AIツール
- 自社開発AI(受託・共同開発)
- 業務領域
- 記録・議事録
- 導入形態
- 構築委託
- 成果
- 園児1人分の記録にかかる時間が約1分30秒から28秒へ(約69%短縮)。文字起こしの後ろにAIで整える工程を挟んだことで、事務員が手を入れる必要がなかった記録は96%。誰がいつ入力したかがデータとして残り、読めない文字の解読と本人への聞き直しが不要になった。
保育士が園児の名前を選び、スマートフォンに向かって短く話しかけます。「今日は給食のにんじんを残さず食べました」。話し終えた言葉は、その場で文字になり、事務室のパソコンに並びます。
手が空くのを待つ必要はありません。メモ帳を取り出す必要も、あとで清書する必要もありません。園児のほうを向いたまま、記録が終わっています。
ここは、福岡県にある幼稚園の保育室です。かつてこの園では、記録は小さなメモ帳への走り書きでした。そして走り書きは、書いた本人以外には読めないことがありました。

導入前の風景
保育の現場に、記録のためのまとまった時間はありません。園児の世話をしながら、その合間に、ポケットに入る大きさのメモ帳へ走り書きをする。それがこの園の記録のしかたでした。
問題は二つありました。一つは、書いた文字が読めないことです。急いで書いた文字は、後から事務員が見たときに判読できないことがありました。何を食べたのか、いつ熱を測ったのか、確認のために書いた保育士を探して口頭で聞き直す。そこで初めて記録が完成する、という工程が日常的に発生していました。
もう一つは、書くという行為そのものが持つリスクです。メモを取るあいだ、保育士は手元に視線を落とします。その数秒間、園児から目が離れます。記録は必要ですが、記録のために安全が犠牲になるのは本末転倒です。
書く人も、読む人も、それぞれに困っている。しかも困りごとの内容が違うので、どちらか一方を直しても解決しませんでした。
きっかけ
相談を受けたとき、私たちがまず確認したのは「記録をやめられないか」ではなく「書かずに記録できないか」でした。保育記録は園の運営に必要なもので、減らす方向の話ではありません。変えられるのは、記録を残す手段のほうです。
そこで音声入力を軸に据えることにしました。話すことは、保育士が園児と向き合いながらでもできる数少ない動作です。視線を落とさずに済み、走り書きよりも速く、そして何より、出力されるのが最初から文字データになります。
設計で決めたことが一つあります。仕組みを一つのワークフローに絞る、ということです。保育の現場に多機能なシステムを持ち込んでも、覚える手間が増えるだけで使われません。園児を選ぶ、話す、終わり。この三手だけで完結する形にしました。

変わった景色
作ったものは二つです。保育士が使うスマートフォンの画面と、事務員が使うパソコンの画面です。
保育士側の画面は、クラスから園児を選び、大きなボタンを押して話すだけです。片手で操作できることを前提にボタンの大きさと配置を決めました。抱っこをしていても、もう一方の手だけで記録に入れる必要があったからです。話した内容はWeb Speech APIでその場で文字になり、そのままデータベースへ送られます。
事務員側の画面には、園児ごと・クラスごとの記録が届いた順に並びます。クラス別の記録の進み具合がひと目で分かるようにし、どの記録がまだ来ていないかを探さずに済むようにしました。溜まった記録はGoogleスプレッドシートへ自動で同期され、日報の作成やCSVでの書き出しはそこから行えます。

ただし、話した言葉をそのまま文字にして終わりではありません。音声を文字に起こしたあと、AIが記録の文章として整える工程を挟んでいます。話し言葉特有の言い直しや、語尾の乱れ、主語の抜けは、この段階でほとんど吸収されます。
結果として、事務員が手を入れる必要がまったくなかった記録は96%でした。音声認識の精度をそのまま受け取るのではなく、その後ろに一段挟むという設計が効いています。
以前は読めないメモの解読に時間がかかっていたが、今は音声入力された内容がそのままスプレッドシートに入るので、事務作業が本当に楽になった
事務員の方の言葉
なぜうまくいったか
この園で仕組みが定着した理由は、大きく三つあると考えています。
一つめは、置き換えたのが「記録」ではなく「筆記」だったことです。記録の項目も、記録を残すという業務そのものも変えていません。手を使って文字を書くという一工程だけを、話すことに入れ替えました。業務の流れが変わらないので、新しく覚えることがほとんどありません。
二つめは、困っている二人の登場人物を、それぞれ別の画面で受け止めたことです。保育士の困りごとは「書けない・目を離せない」で、事務員の困りごとは「読めない・探せない」でした。同じ画面で両方を満たそうとすると、どちらにとっても中途半端になります。入り口を二つに分け、その間をデータで繋ぐ形にしました。
三つめは、精度を人の手直しに頼らず、工程で担保したことです。音声認識だけに任せると、崩れた文字列を誰かが直すことになり、書く手間が読む手間に移るだけで終わります。文字起こしとデータベースの間にAIで整える工程を一段挟んだことで、手を入れずに済んだ記録が96%になりました。現場から見れば、話したら記録ができている状態です。
効率化された時間
運用が始まってからの数字です。園児1人分の記録にかかる時間は、これまでの約1分30秒から28秒になりました。約69%の短縮です。
1人あたりで見れば1分ほどの差にすぎません。しかし記録は園児の人数だけあり、それが毎日続きます。手を入れる必要がなかった記録が96%だったことと合わせると、事務室側で発生していた作業もほぼ消えたことになります。
時間以上に大きかったのは、確認のやり取りが消えたことでした。誰が・いつ・どのタイミングで入力したかがデータとして残るため、「これは誰が書いたのか」を探す工程がなくなりました。読めない文字を解読する時間も、書いた本人を探して聞き直す時間も、まとめて不要になっています。
これは人手を減らす話ではありません。保育の現場は、記録を減らしたところで人が余る職場ではないからです。書くために園児から目を離していた数秒と、読めない文字を解読していた時間が、園児と向き合う時間に戻った。園にとっての価値はそちらのほうにあります。
これから
整える工程は、使いながら良くしていける部分でもあります。決まった形で間違えるところや、その園でよく出てくる言い回しをデータとして持たせれば、手直しが要る4%はさらに減らせます。作って終わりではなく、使うほど精度が上がっていく形になっています。
記録がデータとして溜まり始めたことで、次の段階が見えるようになりました。手書きのメモ帳は、書いた瞬間に個人の手元で完結していましたが、いまは園全体の記録として蓄積されています。日々の記録を保護者への連絡や日報にどう繋げていくかは、この先の課題です。
支援先に聞きました
Q. 導入する前、一番困っていたことは何でしたか。
園児を見ながらメモを取ることが、とにかく難しかったです。手を止めて書こうとすると、その数秒のあいだ子どもから目が離れます。かといって後からまとめて書こうとすると、細かいことは忘れてしまいます。
急いで書いたメモなので、事務の者が読めないこともよくありました。結局その場にいた職員に聞き直すことになり、二度手間になっていました。
Q. 実際に使ってみて、何が変わりましたか。
子どものほうを向いたまま記録が終わるようになりました。名前を選んで話しかけるだけなので、片手がふさがっていてもできます。
事務のほうでは、読めない字を解読する時間と、書いた職員を探して確認する手間がなくなりました。誰がいつ入れた記録かも残るので、後から確認するのも楽になっています。
Q. 意外だったこと、あるいは最初につまずいたことはありますか。
意外だったのは、多少言い間違えても、読める文章に整えられて残っていたことです。最初は「きちんと話さないといけない」と身構えていた職員もいましたが、普段どおりで大丈夫だと分かってからは早かったです。
つまずいたのは、最初のうち保育で使う言葉がうまく変換されないことがあった点でした。
Q. これからやってみたいことがあれば教えてください。
日々の記録から、保護者へお渡しする連絡帳や園だよりの下書きも作れるようになると助かります。記録が残っているぶん、書くための材料はあるはずなので。そのようなこれからの相談もさせていただければと思っています。
編集部から
この園を訪れて印象に残ったのは、保育士がスマートフォンを持ったまま、一度も画面を見なかったことでした。園児を選ぶときだけ視線を落とし、話しているあいだはずっと園児のほうを向いている。
AIが働いている現場というと、画面の中で何かが自動的に処理されている光景を想像しがちです。しかしこの園で起きていたのは、その逆でした。人が画面を見なくてよくなること。それも、AIが現場にもたらす変化の一つの形だと思います。


